小3の次男が、この春から眼鏡をかけている。
小1から眼科健診で引っかかり、眼科で視力を測ってもらうと「0.15」しかなかった。「眼鏡を作ったほうがいいね」と、先生からも何度も言われていたのだが、本人は「黒板見えているから大丈夫」の一点張り。
「サッカーのボールも見えている」「校庭にいるアリだって見える」
要は眼鏡をかけたくないのだ。
気持ちは分かる。
でも、よく見えていない状態で授業を受け続けるのも限界だと感じたし、何より危ない。
本人とも何度も話し合い、この春からやっと眼鏡をかけることになった。春休み中は、「眼鏡かけて学校行くの嫌だな~」「笑われたらどうしよう」とネガティブに悩みまくり、挙句の果てには、「俺、転校生だと思われたらどうしよう」といったあり得ない心配まで出てきた。
もはやギャグなのかと思ったが、本人はいたって真剣。
案の定、実際学校へ行ってみると、「自分で思うほど、周りは自分に注目してない」ということがよく分かったらしく(笑)、「全然大丈夫だった~」とニコニコ帰宅してきた。一番仲の良いお友達が、かなりのオシャレさんで伊達メガネや帽子などのアイテムが好きらしく、「メガネめっちゃかっこいいじゃん!」と言ってくれたことも自信に繋がったようだ。
親がどれだけ言っても自信を持てなかったのに、友達のたった一言でこんなにポジティブになれるなんて、いつの間にか次男も成長していたんだなぁ……と嬉しくもあり、ちょっと寂しくなる。
そういえば、私も眼鏡がイヤだった。
私が眼鏡デビューしたのは小4の時。
当時は、眼鏡をかけている子も今ほど多くはなく、オシャレアイテムとしての認識もなかった。私は読書が好きで、夜でも暗いところでも平気で本を読み続け、近視はどんどん進行した。眼鏡を変える度に度数が強くなり、それに比例して自分の目はどんどん小さくなる。
「目が大きい」のは可愛い女子の鉄則だった。
少女漫画でも、芸能人でも、可愛い子はみんな目が大きい。
40過ぎた今では、人は見た目だけじゃないということが痛いほど分かるようになったが、思春期真っ盛りの当時、「見た目」はとても大事な物だった。
眼鏡をかけることで、この「見た目」に大きなハンディキャップを背負っていると思っていた。
それならば
それならば、勉強を頑張ろう
うん?というような思考だが、当時の私は真剣にそう思っていた。
「眼鏡をかけているのに勉強できない、とか絶対思われたくない」
変な所でプライドの高さを発揮してしまうのは、今でも変わってないとはいえ、冷静に振り返ってみると恥ずかしい。恥ずかしいけれど、勉強ができることは眼鏡をかけている正当な理由になる、と本気で思っていた。
眼鏡は格好悪いけど、眼鏡で勉強ができるのは格好悪くない。
いや……むしろいい。
小学校高学年、中学校、とめちゃくちゃに勉強を頑張った。中間試験、期末試験の前はスケジュールを立てて勉強したし、順位を落とさないように必死でやった。本もたくさん読んで、活字を詰め込めるだけ頭に詰め込んだ。
おかげで、中学時代の順位は常に良かったし、高校は第一希望の進学校に合格できた。
それもこれも、眼鏡のおかげだと思っている。私の偏差値を底上げしてくれたのは、間違いなく眼鏡(正確に言うと眼鏡へのコンプレックス)だった。
その証拠に、高校入学と同時にコンタクトにした私の成績は、下降の一途をたどることになる。
しかし、高校生活の楽しさに舞い上がっている私が、眼鏡と偏差値の因果関係について気がつくのはずっと後のことなのだ。
さて、時は現在に戻り。勉強が苦手な我が家の次男も、もしかしたら近々、「勉強頑張ろう」の発想に行きつくのかもしれない。それはそれで、楽しみな気がする。
私はといえば、あんなに嫌いだった眼鏡を今は好んでかけている。仕事をするのに目が楽だし、コンタクトよりコスパも良い。
眼鏡をかけているのだから、きっと良い文章だって書けるはずなのだ。
そう信じて、私は今日もパソコンに向かっている。