Sayappieの森 【第二話】今なら書ける

sayappieの森
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この記事がシュフノメ50本目!当初の目標をとうとう達成!

外注の仕事はお休みしていた期間もあったけれど、それでも50本は確実に書いたのでライターになって100本以上の記事を書いたことになる。100本くらいまだまだ甘い!という世界だが、まずは自分を褒めてあげたい。

 

私は小さい頃から本を読むのが好きだった。

絵本に始まり、児童文学、小説。人が勧めてくれる本、図書館で「オススメ!」と書いてある本、テレビで紹介された本を手あたり次第に読んだ。弟や妹はテレビゲームが大好きで、私は全くゲームはやらなかったのだけれど、同じような興奮や感動を読書で味わっていたのかもしれない。

 

小学校高学年の頃、「小説家になりたい」と思った時期があった。

「私もこんな風に人を感動させる面白い小説が書きたい!」と。

短編でもいい。何でもいいから書いてみようと原稿用紙を用意してみた。

しかし全く筆は進まない。どんな話にしようか、ミステリー?恋愛小説?登場人物は?最後はどんなオチにする?散々考えてみたけれど、「書きたい」という気持ちはあっても具体的に「書きたいもの」がなかった。

こんなに小説が好きなのに、読むのと書くのは全くの別物なんだと原稿用紙を前に少し悲しい気持ちになった。

 

次に「書く」ことを考えたのは就職活動の時だった。

自己分析や興味のあることを考える中で、「書く仕事」がふと頭に浮かんだ。浮かんではきたものの、正直そこまでの熱意はもう無かった。出版社もいくつか受けてみたが、競争の激しい業界で熱意のない自己PRなど通るはずがない。書類選考すら通らない、なんとも残念な結果だった。

特に出版業界に執着する気持ちもなく、新卒で事務職に就いた。やっと出た内定で嬉しかったし、「やりたいこと」うんぬんよりも、「4月から働ける場所」を確保できた安堵感でいっぱいだった。

就職、結婚、出産。人生が進む中で、私はまた「書く」ことに巡り会うことになる。

長男を出産してから6年。

働きながらの育児に疲れ果てていた私は、引越を機に専業主婦になろうと考えていた。次男は幼稚園に入ったので、「もう仕事は無理だろう」とも思っていた。ある日、夫から「在宅でできる仕事があるみたいなんだけどやってみる?」と聞かれる日までは。

当時、夫の同僚にヨシオカさんという方がいて、ヨシオカさんは子育てwebサイトを運営していた。家にいて時間があるのなら、そこに掲載する記事を書いてみないかというお誘いだった。

真っ先に出たのは「記事どころかブログすらやっていなかった私に書けるのだろうか」という不安。

しかし子育てに苦しんだときに検索して読んだ、数々の記事に背中を押された記憶が蘇る。そんな記事を私も書いてみたい!熱い気持ちが不安に勝った。

「もしどうにも使い物にならないようなら報酬も要らない、試しに1本書かせてください」と即答した自分が今でも信じられない。ファミレスのメニューひとつなかなか決まらない、優柔不断な私はどこへ行ったのか。でも確かに私の中で何かが動いた。

必死に書き上げた原稿を提出した私にヨシオカさんが言ってくれた言葉を、私はきっと一生忘れないだろうと思う。

「ブログも何もやってなかったんですよね?それでこの出来はすごいです。少し修正すれば十分記事として通用しますよ。」

あまりの嬉しさにひとりでボロボロ泣いた。

書きたい気持ちは消えてはいなかった。原稿用紙を広げた幼いあの時から、自分の中の「書きたい」気持ちはずっとあって踏み出すのを待っていたのかもしれない。

 

そうだよな、立派な小説が書けなくても「書きたい」って言っていいよな。

あの時は自己PRに熱意が書けなかったけれど、今ならたくさん熱意書けるな。

そう、今なら書ける。

色々な仕事をしてきた。子どもを産んで育ててきた。

これまで関わってきた多くの人たちから学んだこともあれば、悔しさや悲しさをバネに手に入れたものもある。

私の中で色々な考えや感性が育った時間、それが芽になり今出たのだと思えば決してまわり道ではないと思う。

30代後半から書くことを始めた私が「ライター」なんて名乗っていいのか?とずっと思ってきた。やってみたところで、新卒からずっとライターをやっていた人たちに叶うのか?と。

 

でも待てよ。

新卒からライターやっていた人が今も続けていたら、キャリアは20年。

それなら私があと20年ライターを続ければ、同じキャリアが手に入る。20年書き続ければいい。それだけのことだ。

 

原稿用紙や自己PRの用紙を前に固まっていた私の「書きたい」芽が、この歳で顔を出すことになるとは。

1本目の記事を褒めて世に出してくれた、ヨシオカさんに改めて感謝したい。

SEOや文章の構成も何も知らなかった私が、がむしゃらに書いた1本目の記事。自分のサイトで50本目の記事を書きながら、いつまでもあの気持ちを忘れずにいたいと思っている。

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